コロナ体験談を聞く

こんにちは。【タオルはまかせたろ.com】タオルソムリエの寺田です。

 

大学時代からの知人である方がいます。

寺田だからという絶大なる信頼をいただく中で1ヶ月前にコロナ感染患者となったということを教えてもらい

その患者さんになった立場からの体験を包み隠さず教えてくださいました。

ここに書くことはご自身のブログにアップされていて公表されていますが私からは匿名でお伝えする形にさせていただきます。

 

皆様の中でのコロナという感染症との向き合い方の参考になれればと思いながら読み進めていただけると幸いです。

ちなみに私の周囲には多数の感染者と死者の方もおられます。

 

 

今もなお病気に苦しむ患者の皆様へのお見舞いの気持ちと

医療従者の方々への感謝を先にお伝えさせていただきたいと思います。

 

 

知人は3月末、長らく延期としていた家族旅行を決行。

旅行自体を自粛することは各ご家族の判断であり不要不急であるかは聞いてみないとわからないもので

すべてを拒否することは私は普段からしていません。

このご家族は高齢であるお母様に見せたいものがあると意を決して完全感染対策で向かわれたということをお伺いすると行かぬも後悔、行けば後悔の念の中で決行した旅先で感染されたということになりました。

 

ご自身が発熱を発症しかかりつけの医院で抗体検査。

インフルエンザは陰性であったがコロナに陽性が出たことで関連施設の窓口に回されます。

 

数日後、高齢のお母様と娘さんが感染、変異ウイルスの特徴である家族感染となってしまいます。

幸い、奥様は陰性となるが自宅での隔離生活がスタート。誰とも接触できない不便をお話しくださいました。

 

ご自身と母、娘さんはそれぞれの症状にあわせて入院先が違います。

お母様は重症病棟に入り、一時は命も危ぶまれる中、現在奇跡的な回復をみせておられ命に別状のない状態になられましたが

自らは入院する患者の身ながらご家族への後悔と自らの仕事関係者の方々への濃厚接触者であるかの

確認に追われ病室でもほとんど寝られない状態であったといいます。

 

そんな中、接触者一人が感染。自分の以前の同僚であったそうです。

車越しに距離を置いてお土産を渡した15分の間であったが親しい間柄であったためマスクをお互いにしていなかったそうです。

厚生労働省からの指針外である15分以内の屋外であっても濃厚接触となることはあることを教えていただきました。

その同僚が最初は安定していたのですが突如苦しみだして重症病棟に運ばれるようになったそうです。

 

自身は家族のみならず感染させてしまったことに後悔ばかりが先立ち、病室の割れないガラスを突き破り死にたいと初めて思った経験を教えていただきました。

 

心の傷をさらに追い討ちをかけるかのように同僚はコロナに掛かったことを理由に会社を解雇となったと聞かされます。

入院中の患者に関して連絡を入れてくる会社があるという自体も本当に存在するのだということを知り

雇用を守るという会社組織のあり方と社会の風評被害を少なく会社の他の従業員を守らねばという判断の中での経営者の気持ちを考えてしまいます。

 

快方に向かい出すのは運良く対処療法が効いて熱が下がり出した時に感じるそうで嘘のように症状は楽になってくるそうです。

それも人によってあうあわないがあるらしいのでその治療現場は大変だということもお伺いしました。

 

しかし心のうつ状態は簡単に元の健全なものになれず初めて心のケアセンターにまで電話をして相談をされたそうです。

ここまで追いやる今の感染者さんの患者の気持ちはなった方にしか分からないご苦労だと思います。

 

病気になることは誰もがあり得えますが現在のコロナ感染の世論と報道による患者さんへの風当たりはきついと初めて体験して思えたと本人はおっしゃいました。

 

子供さんへの学校の復帰、現在のご自身の仕事のお客様へのお詫びと次に仕事依頼に来てくださるかの信頼が疑いの日々になってのしかかってくるといいます。

信頼があるであろうというお客様ですら離れていく感触が今もなお続きそれがきついと。

人はそんなものなのか、自分はそんなものなのかという自問自答・・・。人間不信が続いておられる様子でした。

 

幸い同僚に際しては自分の責任と深く感じて次の就職先へのあっせんができて少し安堵された胸のうちをお聞きしました。

 

しかし今もなお感染に抗体ができて安心な身であっても接触をこばむ方は多いそうです。

正しい情報がないのが今のコロナ禍なのです。

不安に思われる方もおられて当然かと思いますが回復された方へのケアはどこまでできるのかを考えてしまいました。

 

私は普段から感染した場合のリスクと周囲になった方々へどう接するかを考えることを大切にしようと思いながら行動してきましたがいざ、ご経験をされた方の体験談は想像以上だと感じます。

なってから考えればいいという人もおられますが本人はそうであっても実はその本人が一番きついのがこのコロナの感染症なのだと改めて思いました。

 

 

病気は誰もがかかるものです。 

しかしこのコロナ感染に関しては治療が確立できてない以上、かかった際に後悔しない対策は自分で少しでもしておくことが

大事なのではないかと思います。

 

手洗いうがいソーシャルディスタンスというのは感染対策です。

でもそれだけではかかった後の自分の心のケア対策ができません。

 

そんなこと言うがかかった後のことを思い苦しい環境に追い込まれて体を壊したら元もこもないというのも正しいです。

現にそうなるとコロナ鬱といわれる形になってしまうではないかと言う声も聞こえてきそうです。

 

いや、その考え方ではなく

かかった際に最低限の報告を正直に話せる環境でいたいと常々考えることを大事にしたいということです。

 

旅行に行くのが悪いのではない。政治家の方がゴルフに行くのもサラリーマンがゴルフに行くのももしかして意味があるかもしれないがそれは聞かないと誰も分からないから一概に他人が言うことではないんです。

そんな人のことを責めても自らの心のケア対策になりません。

 

すべて本人の自分への向き合い方のみが大事だと思うのです。

理解しがたい行動を自分の中で起こしてしまってると自分の後悔が深くなってしまう。必ず深くなってしまう。

その行動の抑制を自分で判断していくことももう一度徹底していくことが大切なのだと思います。

日本の街はロックダウンでなく規制はあっても開放されています。 

交通機関も外食産業も日用品も観光地も行ける状況にしてくれてます。

 

そこに行く規制は心の中に手を合わせた時に後悔しない内容を伴っているかをもう一度考えてみたいと

思います。

 

 

知人はコロナになる前まではかかったら仕方ないしという考え方であったということを反省していました。

もっと後悔しないようにできたはずだとそればかりを言われてたのが脳裏から離れません。

旅行のことではなく普段の生活を反省後悔されていたのです・・・。 そう考え方を反省されているのをすごく感じました。

 

病気になられたことを誰も責めないが自分は自分を責め続けてしまうと言われます。

 

自らの行動に責任を持って生きることは実は自分に甘い人間は苦手です。

人のせいにしてしまいその場を顧みない。

しかし命を救っていただく身になるとつくずく感謝の気持ちしか出てこないもの。

私は鬱病経験をした時期があり人より抑制して理解できる部分もありますがそれでも行動が甘いと思うことがあります。

 

人は失敗して生きる、助けられて生きる。自分の命であっても生かさせていただいているのだという気持ちから

自らの行動を俯瞰して考えることが大切なのではないか・・・。 今回の体験談を聞きながらそう思いました。

 

その行動に意味がある行動だと自分に言えれば良心の後悔は少なくなると思います。

決して感染させてしまった際に悔やないかといえばゼロにはなりませんがむやみな恥じる行動ではないことに

責任を自分に深めすぎないことができると思うのです。

今は自分の身のことより周囲の方々へ向けて後悔しない行動への意識を持っていくことをコロナ禍の中で考えさせていただいているのかもしれません。

 

その先にこそもっと豊かな優しいつながりを持てる明るい世の中になるのかもと思います。

 

時代を遡れば実はコロナという感染症だけだなく狂犬病・BSE・エボラ熱・エイズなどの様々な風評被害を受けて心の病になる方もおられることを私たちはもっと痛みを知ることから分かち合わないといけないと思います。

 

そしてもう一つ。

好き勝手匿名で発信する感情表現がまかりとおる時代は古いと知るべき時だとみんなが気づきだしています。

そうしないと人の絆が弱くなるのではないかと知り出しているのです。 

誹謗中傷は誰も心を豊かにしませんものね。

 

明日は我が身です。 そう思いながら後悔しない行動をしていきたいと思います。

コロナ感染をされた体験談を聞かせていただいたことに感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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