封印していた過去・・・

 阪神・淡路大震災から12年・・・。

    黙祷

 私は12年前に妻と青森県へスキーへ旅立った・・・。

  今でも二人を苦しめる過去です。 消すことの出来ない過去・・・。

 初めて公にしたいと思います。

 

12年前にガツンっと揺れた1月17日。

とても激しい揺れを滋賀でも感じました。

私は結婚前の今の妻と初めて旅行に行く計画をしており、出発は

朝一番の飛行機となっていました。

状況は不透明なまま飛行機は動いているとのことだったので

若かった二人は楽しみを選んでしまい、旅行をしようと考えたんです。

そのことが当然のことながら今も二人を苦しめています。

被災地の方の苦しみに比べれば当然のことだと・・・。

当時、

少し早めの滋賀を出発して親父に空港まで送ってもらいました。

伊丹空港へ近づくに連れて国道は早朝にもかかわらず渋滞とかし

全く動かなくなりました・・・。

ただ事の災害でないことは近づくに連れて肌で感じていました。

もう飛行機は間に合わないであろうと思い、最寄りのスタンドに

寄って尋ねた原付バイクのおばちゃんが

 「空港で働いているねん。後ろついといで!!」

っとスルスルと裏道から空港まで導いてくださいました。

しっかり御礼を言おうとすると「かまへん!」っと差し出したテレホンカードの

御礼も受け取らず、行ってしまわれました・・・。

導きがあり、飛行機に搭乗して空中から街を見下ろしたときに二人で

涙がこみ上げました。

青森の大鰐温泉に到着してもキャンセルが相次ぎガラガラな状態でした。

二人はこんなに旅行が苦しいと思ったことはなかった・・・。

普段ならたくさん撮る写真も笑顔の顔は無く4枚のみ・・・。

その写真のバックに映っている当時の村山首相が語る震災の深刻さを

さらに二人を苦しめた。

6000人を超す犠牲者の方々に際して今も申し訳ない気持ちでいっぱいに

なります。 

帰郷してからも震災に遭った恩師を励まそうと義援金を集う学年全員の同窓会を

企画したり震災地へのボランティアなどしても何にも二人のとったあの行動は変わらないんです・・・。

時間が経ち復興していく街や笑顔の被災地の方を見れば見るほど

辛くなり二人で苦しむ・・・。

何故、しっかりと命の重みと決断ある成人した大人の行動が取れなかったのかと・・・。

今、語ることによってこの重圧から放たれる意識は毛頭無く一生背負う過去だと

思っています。

経験して人間が深くなると言いますが、私の行動は間違いなく間違っていたのです。

その過去を消すことは出来ない・・・。

ごめんなさい。 ごめんなさい。 本当にごめんなさい・・・。

出来ることはこの命を大事に、力強く生きることだと思っています!

災害が少ないことを願うとともに当社で出来るあらゆることは協力できればと

思っています。

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