関心がある

昨日の落雷のおかげでDVDプレーヤーのハードが故障して

くださった。

VHSテープを整理する良い機会をいただいたと思い

しこしこと見ている中で山積みのアルバムも目に入って

しまえば今していたことは何とや?っで昔にフラッシュバックして

いく時間を楽しんだ。

私のアルバムはその当時の友達が誰が来ても一緒に見ながら

語り明かせる作品になっている。

それはみんなのアルバムと少しだけ違う点がある。

最近、これが今の経営にも生きていると思うようになる。

何が違うのか?

なぜ、みんなと楽しくアルバムを見られるのか?

そう、学生時代に校舎に張りめぐらされた購入写真の中で

自分が写っている写真はもちろん、友達の生き生きしている

写真も一緒に購入していたのだ!

それは小学校の時からそういう傾向があった。

自分への関心より仲間への関心が高いことは

のちの同窓会の幹事としても役立つことになっていく。

D・カーネギー氏の著書にも

世のなかには他人の関心を引くために、見当ちがいな努力を

つづけ、その誤りに気づかない人がたくさんいる。

これではいくら努力しても、もちろんむだだ。

人間は、他人のことには関心を持たない。

ひたすら自分のことに関心を持っているのだ-朝も、昼も、晩も。

相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を

寄せるほうが、はるかに多くの知己が得られるかということは

犬が一番、本能で知っている・・・。

私は犬ではないが、純粋に人に関心をもって生きていることが

多い。

アルバムを見て改めて気づく。

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