長男の最後のプール

こんにちは。【タオルはまかせたろ.com】タオルソムリエの寺田です。

長男が産まれはしゃぎすぎて遊び過ぎるとぜぇーぜぇー、ひゅるひゅるという音を出して苦しがった。
その音を聞くと女房は自身が小児喘息であった自らの体験が蘇り悲しい顔をした。

熱を出すと高熱が続き決して身体が強い方ではなかった。
そんな長男、かいへいをスイミング教室に通わせたのは2歳の頃だった。

プールサイドに親の姿が見えないと不安そうに泣きながらみんなの最後尾に並んでいたかいへい…。

泳げる喜びを知るようになってからはみるみる泳ぎ方も上手になり進級を続けていった矢先に手術を余儀なくされる中耳炎に見舞われる。

小さい身体にメスを入れることに
戸惑いもあったが将来を考えて難聴にならないための大きな選択であった。

術後、小学校の授業のプールもおやすみが続き三角座りで見学は泳ぎが上手くなった分、退屈であったことだろう。

小学校卒業とともに友達がスイミング教室を辞めて行く中、かいへいは
辞めたいとは言わなかった。

中学生になって習い事は増え始め部活動もある中でも
スイミングには通い続けていた。

中学一年生の冬、ついに塾と部活動の両立が厳しくなったのだろう。
スイミングを辞めると口にしたその日に、先に水球を始めていた次男の試合を観覧していた時のことであった。
辞めると伝えに来ていた気持ちとは裏腹に、仲間が水球チームの入部を懇願して来たのだ。

次男の試合にも興味があったのだろう。又人は頼られること程嬉しいものはない。

かいへいは、入部を決意した。


それから二年。
水球の最後の試合と決めて本日
を迎えた。


最後の試合はコーチの計らいで兄ちゃんと一緒に次男も試合に参加。

水球チームを作るのは競技人口が少ない分、維持して行くことも難しい。
このチームが長く続くことを心より願う。

水上の格闘技としてハードな動きによりついた筋肉は鋼のような鉄拳にまでに成長していた。

12年間続けたプールで養った肉体と精神は、必ずや大人になった時に生きてくる。

受験を前に区切りをつけていく時期であるが、その姿を褒めてやりたい。

もうスイミング教室から続くあのプールに入水することはない。
お疲れ様でした。

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