桜の季節にそれぞれの新たな出発が始まる人もいます。
楽しみいっぱいの期待と少しの不安で春を迎えるのです。
息子の同級生は早くも学校へ行けなくなってしまった仲間が何名かいます。
今日はそのお母さんが来店されました。
さぞ、心配で仕方ないことでしょう・・・。
お声の掛けようが僕にはありませんでした。
現在の学校の状況を知らないのですが、登校拒否が多いと聞きます。
僕の時代は学年に1人だけでした。
その子のお話をしたいと思います。
中学1年生の僕は人より精神的にも幼くおっちょこちょいでしたので
例外に漏れず学級委員に選ばれてしまいました。
担任の先生は歌の上手な女性の先生でした。
何週か過ぎて1人の女の子のクラスメートがずっと休んでいることに気づきました。
そのクラスメートは昨年も登校してないので進級できずにいました。
僕はまだ思春期にも目覚めていない子供でしたから何のためらいもなく毎日、
彼女に手紙を書きました。
それを近所のクラスメートが女の子のお家へ届けに行くのです。
最初はクラスメートのみんなが手紙を出してましたが、そのうち僕だけになっていました。
何を書いていたのでしょう? 今は全く内容は思い出せませんが毎日、毎日書いてました。
ある日、先生が一緒にその子のお家へ行くのでついてきてと言われました。
そこで彼女を初めて見ました。
「お母さん、今日はどうしても連れて行かせてもらいます!」っと泣きながら
彼女の手を強引に引っ張る先生。
全身が硬くなってお母さんの後ろで震えながら泣き叫んでいる彼女。
その記憶は鮮明に覚えています。
先生の涙、母の愛、女の子の行きたくても動かない身体・・・。
その日は結局、学校へは一緒に行くことが出来ませんでした。
僕はそれからも手紙を書き続けていました。
すると年賀状が彼女から来ました。
「お元気ですか?私は日吉大社にお参りに行きました。人も少なくて静かで良かったです・・・。」
と書いてあったことを覚えています。
さして幼い僕は彼女を救いたいとかどうしても学校に来て欲しいとか友達になりたいとかそんな感情はなかったように思います。
でも習慣のように彼女には手紙を書いてました。
彼女は一度もクラスに姿を見せることなく僕は2年生になりました。
春を迎えた新学期に1年生の教室に元気な彼女の笑顔がありました。
演劇部にも入った彼女の姿がありました。
なんかすごくうれしかったのを覚えています。
僕が何かをしたわけではありませんが彼女が変われたことがうれしかったです。 自分が変わることが出来るのですよね。
今、大人になってもし、彼女に手紙を書くとすればこう書くでしょう。
そのときもずっと多分、僕はこんな風に書いていたんでしょうね。
「1人じゃないで! 僕、おもろいで!」