映画グリーンブック

こんにちは。【タオルはまかせたろ.com】タオルソムリエの寺田です。

差別という言葉は小学校の頃に学んだ。いけないことだよと。
それ以来、優等生であろうと私は大人になっても頭で思いながら
どこかで感情がついていかない自分が確かにいた。

今回は大きなテーマとして『差別』について書くことにした。
どう書いても難しいことは覚悟の上で14年目の記事の第一回目の
題材にさせていただくがあくまで論じることを目的としていないことを
前置きとさせていただきたい。

昔・・・。
幼き幼稚園の頃の我が息子が公衆トイレで全身ひどいケロイド状のおじさんと並んでいた時に「痛くない?」と皮膚を触り撫でていたことを思い出した。
息子の心と身体にまだ無という平等の人への愛が溢れていたのである。
その光景を見ながら私にはいつ知れず心に宿ってしまっていた感情が
行動に移さないまでとしても差別と呼んでしまうことになろう態度で
子供とおじさんを見てしまい
息子から差別はいけないと学んだ記憶がある。

私が学生の頃に近所の銭湯に出かけた時のこと・・・。
四つの洗い場の腰掛けの真ん中に私は陣取り頭を洗っているとにわかに両サイドから圧を感じた。
右に手のひらが真っ白だけど全身が真っ黒な黒人。左には肩から見える刺青のおじさん…。
お互いに私を越えて両者同士が意識しているのを感じながら私はまだ湯船に浸かっていないのに汗が滝のように溢れ泡が飛び散らないようにと手が縮こまっていたというネタをよく人に話したものである。

差別をしているつもりはなくてもその言葉の意味を理解した際に二人の人間が存在してしまう。

差別を受けた人と差別をしてしまった人である。

ありがたいかどうかをどけて私は両方の経験が少なからずある。

引っ越しをしてきた時に私が受けた差別と
私が高学年に上がった際に
クラスに来た転校生の子に私が行った差別である。
私が受けた差別。そしてその後に他の子にしてしまった差別…。

なーんだ、そんな事かということはできないのが差別という言葉にあることを私は思う。

 


今回の観た映画グリーンブックは黒人の人種差別フィクションを映画化された注目度の高い作品である。
劇場が満席であったことが皆さんの関心の高さを示している。

アメリカの地における人種差別。
歴史の中で生まれた差別問題として今もなお続いている。
描き方があからさまな部分に意識してする事で映画の本質である「自ら考えよ」というテーマを観覧後に思わせてくれる作品である。

私は本来のアメリカを知らない。
黒人の知人もいない。
しかしこの映画からは耐え難い屈辱を乗り越えていくようにと黒人の非平等が描かれていると受け止めた。

そこに起きる「心の変化」を監督が伝えたかったのであろう。

話は映画から離れる。
観終えた後にこのブログを書きながら小学校の時に担任の先生がカムイ伝を漫画で読むように言われた私は自分が恵まれた環境だと思う反面、我が身が差別を受ける方もするのも嫌だと思った記憶にまで遡ってしまった。
カムイ伝は読者自身でお調べいただきたい。
江戸の穢多非人(えたひにん)という差別があったことも含めて人はなぜ階級や身分を重んじてしまうのか…。
当時の言葉は消えたとしても高学歴の履歴書で就職が有利だとか女性だからと入試不正を行う現代も差別の文字は大人の頭にはDNAとして組み込まれてしまっているのかもしれない。

いや、そうではない。
実はそうではない。
変化をする事でスクリーンの主役出会った白人のように心が変われる。
人は変われるのである。
私もこの日からそう自分に思いながら生きていく。

まずは自分からである。

心の変化を起こすことこそ映画の価値である。

ぜひ劇場で観劇いただきたい。

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