第24回瓜生山薪能 観覧

こんにちは。【タオルはまかせたろ.com】タオルソムリエの寺田です。

京都文藝復興の理念のもと、瓜生山能楽堂 楽心荘で開催されました
薪能を観覧してまいりました。

薪能(たきぎのう)は、主として夏場の夜間、能楽堂、もしくは野外に臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚いて、その中で特に選ばれた演目を演じる能のことです。

私も始めてその平安時代中期の文化に触れてきました。

演目は
狂言「茶壷」(ちゃつぼ)
能「百万」(ひゃくまん)
が演じられ各演舞ともにシテの見事さに感動してまいりました。

狂言

シテ  茂山あきら
一本の道が何本にも見える程にしたたかに酔っ払った使いの者が、背負って来た茶壺の片連尺をはずして、
道端に寝込んでしまった。
そこに通りがかったすっぱ(盗人)がこれを見て、茶壺を我が物にしようとたくらみ、外してある片連尺に肩を入れ、
茶壺を挟んで男と背中合わせで眠る。
使いの男は目覚め、茶壺を巡る攻防が始まる。騒ぎを聞きつけ、土地の目代(代官)が仲裁に入った。
目代の質問に使いの者は、茶好きの主人の命令で京都栂尾で茶を詰めての帰りだと答える。
すっぱはこのやり取りを立ち聞き、同じに答える。目代が次に入日記(内容目録)を問うと、使いの者は道中の出来事を織り込んで面白おかしく謡い舞う。すっぱもまた盗み見て、同様に謡い舞う。
決着がつかないので目代は相舞(同時に二人で舞わす)にさせる。
すっぱは使いの者の振りをうかがいつつ、たどたどしく真似るので、どちらが茶壺の真実の持ち主であるかは明々白々。
二人の舞を見終わった目代は、裁決をすると、茶壺を自分が取り、「論ずるものは中より取る(決着がつかないものは、仲裁者である自分がもらう)」と持ち逃げる。すっぱよりもしたたかな土地の小役人が描かれた狂言。

火入れ式があり薪がほのこを天に舞い上がる中、能が始まります。

シテ  観世銕之丞
ワキ  福王 和幸  
満開の桜のもと大念仏に集う善男善女たちで賑わう嵯峨野清涼寺。
僧が奈良西大寺あたりで拾ったという少年を連れこの寺に来た。
僧は幼子の慰みになるような面白いものはないかと門前の者に問う。
女物狂がいて下手に念仏を唱えるとじれて現れ、面白く念仏の音頭を取るという。
門前の者が念仏を唱えると狂女百万がたちまち現れ、笹で門前の者を打ち、自ら念仏の音頭を取る。
子に生き別れ、闇に迷う親の心はこの世の首かせだと嘆き、我が子にひかれる身を車にたとえ、えいさらえいと車を引き、乱れ心ながら南無釈迦弥陀仏と唱えるのも我が子に再会したい一心だと言う。
子供は狂女が母だと気づき、僧に告げる。僧はそれとなく狂女の里を問う。
女は我が子に別れ狂気しているのだと答える。信心により子供が見つかるだろうと慰められ、法楽の舞を舞う百万は釈迦如来を讚えつつ、子との再会を祈念する。
僧は幼子を立たせ、母百万と再会させる。
母は早く名乗って欲しかったと恨みはするものの、親子再会をもたらした釈迦如来に感謝し、我が子とともに都に帰っていった。
「昔の嵯峨物狂の狂女、今の百万これなり」と世阿弥が『三道』に書いたように、観阿弥が得意としたという『嵯峨物狂』を世阿弥が改作した作品。
古作の面影の残る狂女物で、女曲舞百万が主人公であることによって、芸尽し的な要素や、群衆の中での浮き立つような感覚が随所に感じられる。
この嵯峨清涼寺の釈迦如来は奝然が宋に伝来されていた生身の釈迦如来像を摸刻して日本に持ち帰ったものといわれ、京都下京の因幡堂の薬師如来、信州善光寺の阿弥陀如来とともに日本の三大如来といわれる。

会場満席の中、京都五山の京都を見渡せる京都造形芸術大学瓜生山の能は
新たに日本文化を肌で感じさせていただくいい機会でありました。
お招きいただきまして誠にありがとうございました。

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