気心の知れた間柄

こんにちは。【タオルはまかせたろ.com】タオルソムリエの寺田です。

同級生でもその親でも縁者でもご近所付き合いでも
気心の知れた間柄になると人付き合いは楽しいものである。

私はこの言葉が大変好きである。
いかにして心を開いて信頼し、気安く親しくなれるか・・・。

なかなかお互いになりたいと思っていても特に日本人は奥ゆかしい部分もあったりするので
苦手という方も多いであろう。

私はビジネスであろうと普段の人擦れ合う多生の縁であろうと
心を自ら開き相手に接していく姿勢でいることが多い。

相手によれば土足で入ってくるなという気配があればもちろん大人な対応で
図々しいことはしないが基本、私の方からのバリアがないようにしている。

ネット通販を営む関係上、お会いしていない先様にも最初のメールの一文から
私は心を開いて接していこうとする。
そのため大変好意をお互いに持ちながら商談をすることが多いように
思える。

理由のひとつに弊社のホームページにあろうかと思う。
そう、私の方は顔を前面に出しているため少なくとも先様は
私の風貌や考え方などはページを通じて知ってくださっていることが
バリアをひとつ破っているのだろう。

私はもちろん先様の容姿や仕事内容を知ることすら無いまま
メールでのやりとりが進むのであるが意外と機械文字であっても
先様の気持ちがわかってくるタイミングがある。

この瞬間に気心の知れた間柄となっていくのだ。


先般、長いメールのおつきあいの先様に見本帳を頼まれて送付したのだが
返却の際に自社のボールペンをお礼にと同梱いただき届いた。

優しいお手紙とともに信頼している作品タオルをお待ちしてますと書かれており
その方のためには最高のものをと思うのである。

それがモノをもらえたからとかいう感情ではなく
お互いに気心の知れた間柄になっているからこそ起きる行動に
なったことが大きいのだ。

顔も知らない。会ったこともない。だけどその方のためにと思えることは
ネット社会に入った今は日常のことかもしれない。

しかしネット社会になったことでその逆も言える。
誰からも鑑賞されずに生きていけるという気心の知れた間なんてまっぴらだという
方も存在する。

私はそれを否定することはもちろん無い。

それぞれの多様性がある社会をむしろ受け入れている。

一番恐れているのは匿名で誹謗中傷して自らの殻に入ってしまい
自分で自分を苦しめてしまう方がネット社会の中で多くあることが
もったいないと感じる。

誹謗中傷から真の喜びは誕生しない。

ありがとう。助かったよ。おかげさんでという触れ合いがあると
どんな些細なことでも人は生きていることを感じる。

毎日のように私は気心の知れた間柄の方とたくさん接していただいていることに
感謝する。

本当にありがとうって。

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